先進医療視察記(天理よろづ相談所病院)1997.7.30


 今年、平成9年度の先進医療視察は、粂田・栗山理事にお世話になり天理よろづ相談
所病院に行って参りました。参加者総数10名でしたが不順な天候の折り、幸いにも良い
天気に恵まれました。
 例年のごとく中紀バスで箕島駅を午後1時前に出発して、極めて順調に車は流れ3時
には天理病院に到着しておりました。写真1
 病院の外観は、決してモダーンとはいえませんが、堂々としており、しっくりと落ち
着きのあるもので、一見、清朝の紫禁城を思わせる感が致しました。院内の第一印象と
いえば、まず清潔この上なきものでした。廊下は隅々までぴかぴかに清掃されており、
大きなガラス窓も曇りひとつなく透明に磨かれていました。粂田先生の同窓生、田口善
夫先生に案内されて医局の近くの会議室で、よろづ相談所病院の概略を説明して頂きま
した。写真2
 正しくは、「財団法人 天理よろづ相談所 憩いの家」といい昭和10年に創設され、昭
和41年、天理教教祖80年祭を期して財団法人に改組されています。即ち天理教の信仰に
基づき、人間の幸福を希求するためにあらゆる方途を講ずる施設として出発しているそ
うです。
 同所の機構図によると、相談所は身上部,事情部,世話部の3部門より構成されてお
ります。身上部には病院と医学研究所があり、病院には臨床診療科24科、本院と別所分
院合計1,041床の病床を有します。病院の敷地面積20,230平米,建築面積延べ66,562平米,
外来患者数は1日平均2,250人,入院平均1日830人とのことです。総職員数は1,635
人,医師(常勤)148人,レジデント44人,薬剤師47人,看護職員658人,医療技師200人,
事務職189人,その他349人(平成9年4月1日現在)となっています。
 病院以外に医学研究所を持っており、生理学,細菌学,生化学,病理学,電子顕微鏡
等10部門の研究もしているようです。
  入院患者の受け持ちは、完全主治医制とのことで24時間主治医がすべて対応すること
になっています。従って医師は年中無休で常に勤務状態のようなもの
で、宗教関係の施設らしく奉仕の精神が徹底しています。その中で医師も医療技術の研
鑽と医学研究に没頭しています。
 田口先生の説明によりますと、入院患者には遠くは東北地方からもいらっしゃること
が珍しくなく、不治の病で入院して死ぬのなら、是非とも天理病院でと希望する人も多
いようです。看護部門の従業員はやはり天理教関係の人が多いようで、その献身的な看
護態度には教えられるものがあるとのことです。お世話は完全に十分に行き届いており、
他の施設とは比較にならないとのことです。どこかの大学病院とは月とすっぽんにたと
えられるでしょう。従業員はすべて仕事に対する心構えがはじめから異なるといってし
まえばそれまでですが、しかし巷では、最近になりQOLとか、IC(Informed Consent)
が叫ばれていますが、結局の所、あるべき医療とはいろいろな表現がありま
すが、医療を提供する側と患者さんの側との強力な信頼関係のうえに成立するものなの
です。その意味でも医療殊に終末医療のあり方でも極めて先進的なる実践がなされてい
る施設であるといえましょう。High Technology だけが高度先進医療ではな
いのです。
 「治療肥」、院内の講堂に懸けていた理事長様の書が心に残ります。
 当医師会の先進医療視察先として正に当を得た選択であったといえましょう。成川会
長の選択眼には敬服する次第であります。
 田口先生の説明の後、先生の誘導で院内の主な施設を視察いたしました。CTは3台
,MRIは2台,整理されたカルテ室,内視鏡センター、いずれもきれいに整頓されて
いるようでした。広大なる院内の見学にはかなり労力を要するもので、小生も相当疲れ
てしまいました。それにしても、ほんとにご多忙の所私たち医師会員のために半日を費
やしてご説明していただいた田口先生のご
奉仕には、ただただ感謝に堪えませんでした。ほんとに有り難うございました。
 たっぷり視察を終えて、駐車場のバスに乗ったのは、午後5時を過ぎんとし
ておりました。そこから夕食の会場「萬京」まで車の渋滞もあり約40分かかりました。
 萬京では、武田薬品の長畑守夫氏が講師として、主にReflux Esophagitisについて解
説をしていただきました。食道炎の内視鏡分類(S&M分類)、新しい内視鏡分類(ロサ
ンゼルス分類)についての解説、更にPPI特にIansoprazoleによる治療効果と再発率に
ついて大変分かり易く説明して頂きました。 
  その後、待望の萬京の美味なるお料理を頂きながら歓談となりました。小生、食事の
時少々ビールを戴いたのと本日の視察の疲れから、帰りのバスの中は深い眠りの中でした。

                     1997.8.6   T.KAKIMOTO 記す

戻る